2015年9月27日日曜日

幸せ - Meaning について

幸せの一つの要素として、Meaning(人生の意味や仕事の意義、および目的の追求)というものがあるそうです。

これを知り、考えてしまったことがあります。イスラム原理主義者たちのことです。

「人生の意味や仕事の意義、および目的の追求」といった面だけ見れば、自爆テロさえ辞さない彼らは、平和ボケした我々より遥かに上をいっていると思います。

不合理極まりない彼らですが、ある意味幸せなのかもしれません。

弱肉強食の今昔

久しぶりに投稿します。約半年ぶりです。
今回は、水泳ネタではなく、最近思っている事を書きます。

人類が生まれて以来、政治がいつ頃から始まったのか私は詳しく知りませんが、頭脳の優れた人が指導者に立つようになってから、理性的な組織が生まれ政治も始まりました。そしてそれまでの野蛮な時代は終わりました。

腕力がモノを言う野蛮な時代に比べ、今は平和で良い時代だといえるでしょう。
野蛮な社会では、力の弱い者が強いものに従うという不平等がありました。
現在では、力の強弱による不平等はありえません。格闘技などの世界を除いて。

しかし、現在でも依然として不平等はあります。どのような不平等でしょうか?
貧富や見た目等様々なものがありますが、私が一番感じているものは頭の良し悪しによるものです。
あらゆる組織で頭の良い者が上に立ち、劣った人達を従わせています。そして、パワハラ・セクハラ・モラハラといった現在の問題が生じています。(もちろん過去からずっとあったとは思いますが。)

このような社会の問題に対する処方箋はないのでしょうか?

中々難しいとは思いますが、腕力や知力とは別物によるヒエラルキーだと思います。
組織の上に立つ者は腕力でもなければ知力でもない人格の秀でた人でなくてはなりません。
そんなことは当たり前だと思う方は多いかもしれませんが、現代社会にある組織の数に対して人格者の数が圧倒的に不足してるのが問題です。その不足分を人格は良くなくても頭の斬れる者が埋めているのが現実です。

では、どうして人格者の数が足りないのでしょうか?

経済効率最優先の社会では人格者より頭の良い人の方がニーズが高く、教育段階ですでに頭の良し悪しによるヒエラルキーが出来上がっています。
道徳教育や宗教観念の不足が原因です。

ここまで書いているうちに、サミュエル・P・ハンティントンの「文明の衝突」を思い起こしました。
経済対宗教、西欧諸国対イスラム圏といった対立です。

なんだか自分でも訳が分からなくなりました。(終)