2012年7月8日日曜日

7月8日の練習

今日は一色B&Gプールで練習しました。

・フリー200m
・バックキック50m×5本 1分45秒サイクル
・バックキック250m
・バック右手50m×5本 1分30秒サイクル
・バック左手50m×5本 1分30秒サイクル
・バック左手25m右手25m×5本 1分30秒サイクル
・バック50m×5本 1分30秒サイクル
・バック250m
・フリー・ブレ・バタ・バックのフォームチェック

合計 1,950m

今日はフォームに対するいくつかの気づきがあり、実りの多い練習でした。
・フリーのプルは、手の力だけではなく、ローリングの力を利用するとスムーズに掻くことができる。
(いままで、そんなことも知らなかったのか、といわれそうですが・・・)
⇒バックでも同様にローリングの力をプルの力に変える方法があるはずと思うので、今後探っていきたい。
・バックでは、リカバリーの手が真上に来たときに、掻く方の肩と肘を直角にすることが、意識すればできるようになった。
(いままでは、意識してもうまくできなかった)
・バタはセカンドキックのタイミングを合わせることが大事、イメージはチャーリーさんとスイミングクラブのエースのY.S.くん。
・ブレのキックをタイミングをできるだけ早くすることにより、フィニッシュからリカバリーを動作を速くする

ここ最近は、泳いだ距離に重点を置くあまり、思ったことをすぐにやってみる姿勢に欠けていたと思います。
これからは、距離にカウントしないフォームチェックの時間をしっかりとって練習するようにしたいと思います。

My favorite swimmer Part4 --- Vladimir Valer'evich Salnikov

今日は、前回紹介したブライアン・グッデル選手のライバル、ウラジミール・サルニコフ選手(ソ連)です。

サルニコフ選手の水泳歴は、政治がスポーツに介入した冷戦時のオリンピックを体現した波乱万丈な物語です。

初めてオリンピックに出場したのは、1976年のモントリオールオリンピックです。男子の400m・1500m自由形でグッデル選手が活躍した大会です。
成績は1500m自由形で5位、この時、サルニコフ選手は16歳でした。

そして、20歳で迎えた1980年のモスクワオリンピックでは、西欧諸国が不参加ながら1500m自由形で夢の14分台(14分58秒27)を人類で初めて記録し、金メダルを取りました。
その後サルニコフ選手は1983年までにこの世界記録を 14分54秒76 まで更新します。

絶頂期24歳で迎えた1984年ロサンゼルスオリンピックでしたが、今度は東欧諸国が不参加。
男子1500m自由型は、マイク・オブライエン選手(米国)が15分05秒20で金メダルでした。
サルニコフ選手が出場していたなら、金メダリストの名前は変わっていたかもしれません。

26歳で迎えた1986年世界選手権では8位と惨敗。
当時は競泳選手、特に長距離選手のピークは二十歳前であり、20代前半で引退するのが当たり前でした。かつてのライバル、一つ歳上のグッデル選手は既に引退しています。
サルニコフ選手もその例外ではなく、サルニコフの時代は終わったと誰もが思っていました。

サルニコフ選手の最後のオリンピックとなったのは1988年のソウル大会です。
1500m自由形に出場し優勝。世界を驚かせました。
この年のサルニコフ選手のベストは15分17秒台で、大会前、この8年前のゴールドメダリストが優勝するとは、誰も予想していなかったからです。

右の「1500m自由型の金メダリストと当時の年齢」スポーツコンテンツカンパニー オリンポスのカシスさんよりの表を見れば、サルニコフ選手の28歳という年齢が突出していることが分かると思います。
この金メダルは、モスクワで人類初の14分台を出した金メダルより、強烈な印象を受けました。

以下、ウィキペディアによる彼の紹介です。
1980年代を代表する男子の長距離自由形競泳選手であった。
人類史上初めて15分の壁を破る世界記録をモスクワオリンピックで達成した。
この記録は100m当たりのスプリットタイムが1分を切る画期的記録で、当時人類の夢といわれ、20世紀中の達成は難しいと言われた。
モスクワオリンピック本番では、ライバルと目されたアメリカのブライアン・グッデルらがボイコットにより不参加となり、事実上彼の独泳であった。その状況でも世界記録を樹立した決勝ではほとんどぶれのないスプリットを刻み、「精密機械のような泳ぎ」と報じられた。
無敵のまま迎えたロサンゼルスオリンピックは東欧諸国のボイコットで不参加であり、2年後の世界選手権では全盛期の面影が無く決勝で最下位(8位)で惨敗し、サルニコフの時代は終わったかに思われたが、ソウルオリンピックでは、下馬評にも挙がらないほどの低評価だったにもかかわらず、この種目の優勝候補だったアメリカ、豪州勢を下し見事に2度目の金メダルを獲得して有終の美を飾った。

2012年7月7日土曜日

7月7日の練習

今日は、スイミングクラブで練習をしました。

・200mフリー
・バックキック50m×5本 1分45秒サイクル
・バック右手50m×5本 1分30秒サイクル
・バック左手50m×5本 1分30秒サイクル
・バック50m×5本 1分30秒サイクル
・ブレキック50m×5本 1分15秒サイクル
・ブレプル50m×5本 1分30秒サイクル
・バックプル50m×3本

合計 1,850m

土曜日のスイミングクラブでの練習は1時間と限られているため、時間を効率的に使おうと自然と練習に集中できます。
今日は、1コースを独占して使えることができたので、なおのこと集中できました。
こうした練習をした後は、満足感があり気分が良いです。

My favorite swimmer Part3 --- brian goodell

今回も、モントリオールオリンピックで活躍した選手を紹介します。
男子1500m自由形のブライアン・グッデル選手(米国)です。

幼少期は病弱だっらのに、過酷な1500m自由形でオリンピック金メダルを獲得した、と記憶しています。当時17歳、身長は173センチと小柄で病弱の彼は、当時小柄な12歳だった私にとって、身近に感じる存在でした。

競泳、特に自由形は、身長がものを言う競技です。
右の1500m自由形の歴代ランキング表(スポーツコンテンツカンパニー オリンポスのカシスさんより)のグッデル選手以外の平均身長は188センチです。
173センチのグッデル選手の身長は自由形の常識を覆すものであることが分かります。

話は変わりますが、モントリオールオリンピックの前のミュンヘンでは、男子1500m自由形の優勝タイムはマイク・バートン選手の15分52秒58でした。
その後、この種目は世界新が次々と更新され、迎えたモントリオールでは、グッデル選手が15分の壁を破るかどうかが注目されていました。
結局、グッデル選手は15分の壁にあとわずか届かず、15分02秒40でゴールしました。
その後もグッデル選手は夢の14分台を出すことができず、初めての14分台は、1歳年下のライバル、ウラジミール・サルニコフ選手(ソ連)に譲ることとなりました。

モントリオールオリンピックでの、彼の成績は以下の通りです。
・400m自由形 3分51秒93 優勝 世界新
・1500m自由形 15分52秒58 優勝 世界新

以下、ウィキペディアによる彼の紹介です。
ブライアン・ステュアート・グッデル(英: Brian Stuart Goodell、1959年4月2日 - )は、アメリカ合衆国の競泳選手。
カリフォルニア州ストックトン生まれ。
1975年にコロンビアのサンティアゴ・デ・カリで開かれた世界選手権の1500m自由形で銀を獲得、翌年のモントリオールオリンピックでは400mと1500mの自由形で金を獲得した。
1979年にプエルトリコのサンフアンで開かれたパンアメリカン競技大会でも、オリンピックと同じ種目で金を獲得した。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校に入学し、全米大学体育協会(NCAA)を9度制覇した。
1976年6月18日から1979年4月6日まで400m自由形長水路の、1976年から1980年まで1500m自由型長水路の世界記録をそれぞれ保持していた。

2012年7月6日金曜日

息子失踪

先程、息子をスイミングクラブに迎えにいっているカミサンより電話が入りました。
息子がスイミングクラブにいない、家に帰っていないか?という問い合わせです。
もちろん息子は家にいません。
ちょっとこれはただ事ではありません・・・

結果的には、息子は歩いて家まで帰ろうとしていたところを、カミサンが発見。
電話があってから10分足らずで問題は解決しました。
息子は、家庭内の連絡不足により、家族が誰も迎えにこないものと勘違いしていたそうです。
この間、スイミングクラブのコーチや、息子の練習仲間・先輩が、スイミングクラブ周辺を捜索していてくれたそうです。

息子が家に戻り、スイミングクラブには、息子の無事と心配をかけたことに対する謝罪の電話を入れました。
息子にも、明日の練習の前に心配をかけたコーチや友達に謝罪するよう言いました。

今後、同様な騒ぎを起こさないようにするために、家族のコミュニケーションをしっかり取ると同時に、このような場合の対処方法をきちんと決めたいと思います。

関係者の皆様、御心配をお掛けし、申し訳ありませんでした。

2012年7月5日木曜日

7月5日の練習

今日は刈谷ウィングアリーナで練習しました。
スキンヘッドリーダー、チャリンコボーズさん、ドラゴンさんに会うことができました。それと副市長さんにも会って話をすることができました。

・フリー200m
・バック右手50m×5本 1分30秒サイクル
・バック左手50m×5本 1分30秒サイクル
・バック右手50m
・休憩10分
・バック右手50m×4本 1分30秒サイクル
・バックキック50m×5本 1分45秒サイクル
・バック50m×5本 1分30秒サイクル
・ブレ25m×10本
・フリー100m

合計 1,800m
練習後の体重 66.3kg

今日は練習前にパンを2個食べてしまったせいか久しぶりの66kg越え、少しショックです。

ブレはプルを意識して練習しています。プルを意識するとキックのタイミングが少し遅れるので、プルもしっかりかけて、キックのタイミングもきちんと会うように練習をしていきたいと思います。

最近、バタの練習をほとんどしていません。
レインボーにバタをエントリーしてしまったので、バタの練習もどこかのタイミングで再開しないといけないと感じています。

2012年7月4日水曜日

My favorite swimmer Part2 --- Jim Montgomery

シリーズ”My favorite swimmer ”第2弾、今回は前回同様、モントリオールオリンピックで活躍した選手を紹介します。
ジム・モンゴメリー、人類で初めて100mを50秒を切って泳いだことで有名な選手です。

モントリオールオリンピックの男子100m自由形は、人類初の50秒を切ることができるか注目を集めていました。
そして、その結果、モンゴメリー選手が49秒99という大変ドラマチックなタイムで優勝しました。
このシーンはテレビで何度も流れ、アナウンサーが言った「49秒99すごい!」という言葉を、今でも鮮明に覚えています。

しかし、この有名な世界記録は、ジョン・ネーバーの200m背泳ぎと違い、20日後にあっさり更新されてしまします。
ジョンティ・スキナーという無名の南アフリカ選手が、アメリカで行われた、Senior National AAU Outdoor Championshipsという大会で49秒44という驚異的な世界記録を打ち立て、世界に衝撃を与えたのです。
このスキナー選手は、モントリオールオリンピックには出場しておらず、世界最速はモンゴメリーではなくスキナーだ、これからはスキナーの時代だ、などと評されました。

しかし、スキナー選手はその後、世界新を更新したりオリンピックで活躍したりすることなく、マット・ビオンディの時代に入っていくことになりました。
(スキナー氏はその後、トップコーチとして活躍。水泳テキストを数多く著作している中央大学監督の高橋雄介氏は、コーチとしての指導をスキナー氏より教わっている)

最後に、ジム・モンゴメリー選手のモントリオールオリンピックの記録を紹介しておきます。
・100m自由形 49秒99 優勝 世界新
・200m自由形 1分50秒58 3位
・4 x 200自由形リレー 7分23秒22 優勝 世界新
・4 x 100mメドレーリレー 3分42秒22 優勝 世界新

以下、ウィキペディアによる彼の紹介です。
ウィスコンシン州マディソン出身。
1976年に開催された、モントリオールオリンピックの100m自由形、400mメドレーリレー、800mリレーでいずれも当時の世界新記録で3個の金メダル、また200m自由形でも銅メダルを獲得した。
特に100m自由形では、当時人類の夢と言われた50秒を切る49秒99の画期的タイムを決勝でマークして優勝した。
競泳スタイルは強烈な8ビ-トのストロ-クより『人間魚雷』とも称された。

2012年7月3日火曜日

7月3日の練習

今日は、刈谷ウィングアリーナで練習をしました。
いつものように、スキンヘッドリーダー、チャリンコボーズさん、チャーリーさん、ドラゴンさんに会うことができました。

・フリー50m×7本
・休憩10分
・バックキック50m×5本 1分45秒サイクル
・バック右手50m×5本 1分30秒サイクル
・バック左手50m×5本 1分30秒サイクル
・バック50m×5本 2分サイクル
・ブレ25m×10本 プルの速さを意識
・バック右手×5本 1分30秒サイクル
・バック50m×5本

合計 2,100m
練習後の体重 65.8kg

今日はスイミングクラブが休館のため、息子を迎えに行く必要がなく、いつもより少し余分に練習ができました。

バックは右手と左手と比べると、力が強い右手のほうが、なぜだかあまり進みません。
これは片手の練習の時だけのこのなのか、それともコンビで泳いだときも右手が弱いのかよくわかりません
一度コーチに診てもらいたいと思います。

2012年7月2日月曜日

My favorite swimmer Part1 --- John Naber

水泳の練習を休んだ日は、My favorite swimmerと題して、私の好きな水泳選手を紹介していきたいと思います。
栄えある第1回目の今日、紹介する選手は、ジョン・ネーバーです。

紹介の前に、なぜ私が彼を好きになった訳を説明します。

時は24年ほど前、私は中学生で、水泳の練習に明け暮れていた頃の話です。
モントリオールオリンピックが夏に開催されており、当時水泳部だった私は、活躍する水泳選手にあこがれを感じていました。
その中で強い印象を受けた選手が3名いました。
ジム・モンゴメリー選手、ブライアン・グッデル選手、そしてジョン・ネーバー選手です。

ネーバー選手は、ダイナミックな背泳ぎで他の選手を寄せ付けず驚異的な世界記録で優勝。
私はその強さにすっかり魅了されました。

モントリオールオリンピックで彼の出した200m背泳ぎの世界記録1分59秒19は、今では信じがたい話ですが、同じモントリオールオリンピックの200mバタフライ優勝タイム(1分59秒23)を上回る記録です。

この記録は世界で初めて2分を切った記録であり、1983年にリック・ケアリー選手(米国)が1分18秒93のタイムを出すまで7年もの間、破られることはありませんでした。

100m背泳ぎでも、モントリオールオリンピックで55秒49という世界新記録で金メダルを取りました。この記録も、リック・キャリー選手が1983年に55秒44で世界新を出すまで破られませんでした。
ネーバーの世界新以降、7年後にようやく0.05秒更新できたわけです。

次に、オリンピックの男子200m背泳ぎゴールドメダリストの記録を紹介します。
・1972年 ミュンヘン     2分02秒62 ローラント・マッテス(東ドイツ)
・1976年 モントリオール  1分59秒19 ジョン・ネーバー(米国)
・1980年 モスクワ      2分01秒93 ウラダール・シャンドール(ハンガリー)
・1984年 ロサンゼルス   2分00秒23 リック·キャリー(米国)
・1888年 ソウル       1分59秒37 イゴール·ポリャンスキー(ソビエト連邦)
・1992年 バルセロナ    1分58秒47 マーティン・ロペス(スペイン)

これらの事実は、当時のネーバーの記録が、いかに傑出していたかを示しています。

最後に、彼が大活躍したモントリオールオリンピックの記録を記しておきます。
100m背泳ぎ 55秒49 優勝 世界新
200m背泳ぎ 1分59秒19 優勝 世界新
4 x 200自由形リレー 7分23秒22 優勝 世界新
4 x 100mメドレーリレー 3分42秒22 優勝 世界新
・200m自由形 1分50秒50 2位

ちなみに、200m自由形の3位は、100m自由形で人類初の50秒を切り「人間魚雷」の異名を持つジム・モンゴメリー選手でした。

以下、参考資料です。
・World record progression 100 metres backstroke
・World record progression 200 metres backstroke
・モントリオールオリンピックにおける競泳競技
・Swimming at the 1976 Montréal Summer Games Men's 200 metres Backstroke

・ウィキペディアによる彼の紹介
ジョン・ネーバー(John Naber、1956年1月20日 - )はアメリカの男子競泳選手である。
モントリオールオリンピックで100m、200mの背泳ぎでともに当時の世界新記録で金メダルを獲得した。
特に200mでは、史上初めて2分を切る1分59秒19の驚異的なタイムで優勝した。
また、400mメドレーリレーでも背泳ぎで世界新記録・金メダルに貢献し、800mリレーでも、第三泳者として自由形で出場し、やはり世界新記録・金メダルに貢献し、さらに200m自由形でも銀メダルを獲得した。
結局、彼はモントリオールオリンピックで4個の金メダルをすべて世界新記録で獲得する大活躍であった。
 彼が背泳ぎの折り返しで用いたターンはネーバーターン(Naber turn)という名前がつき、現在も個人メドレーで背泳ぎから平泳ぎに移行する際に用いられている。

2012年7月1日日曜日

第25回JSCA愛知地域・三河地区水泳競技大会

今日、息子が 第25回JSCA愛知地域・三河地区水泳競技大会に出場しました。
場所は愛知産業大学三河高等学校プール(25m)です。

このプールは5月27日の2012年度JSCA三河地区春季認定大会で泳いだ場所です。
その時は失格を含む散々な結果だったため、本人にとって印象の良くないプールです。
今日の結果は以下の通りです。

・50m平泳ぎ 36秒78 (ベスト) 4位/51人
・100m平泳ぎ 1分24秒45 (ベスト) 13位/46人
・200m個人メドレー 2分49秒37 (ベスト) 14位/35人

出場した3種目ともベストで、前回の嫌な印象を払拭する見事な成績でした。

コーチからは、「君は練習を休まなければ結果は出せるので、日頃から体調管理をしっかりするように」と言われたそうです。
私もコーチの意見に同感です。練習では、積極的な姿勢で取り組んでいるので、休まないことが一番の課題です。

メンタル面の課題もあります。

100mと200mの種目で、前半を飛ばして後半失速するレースがここ最近続いていました。
それが今トラウマになっているようで、前半を抑えたものの最後までペースが上がらず平凡な記録しか出せなくなっているようです。

この課題の象徴的なレースが今日の100m平泳ぎです。
下記に示すのは今日の50m平泳ぎの小6上位3名の記録です。

50m平泳ぎ         100m平泳ぎ 50mラップ
息子: 36秒78 4位(小6:1位)  1分24秒45  39秒17  13位(小6:4位)
A君 : 37秒63 7位(小6:2位)  1分22秒64  37秒92   9位(小6:3位)
B君 : 37秒83 9位(小6:3位)  1分19秒12  37秒47   4位(小6:1位)

A君もB君も100mレースのラップを50mレースの記録とほぼ同じタイムで泳いでいます。
息子も彼ら同様、前半をもっと積極的に泳げば、違った結果だったと思います。
練習では、仲間がばてている中でも元気に泳いでいるので、体力の問題ではなく精神的なものだと思います。
これは本人も自覚しているので、ぜひ克服してもらいたいものです。

今日は、息子だけでなく、一緒に練習している先輩や同学年のライバル達も、大幅にベストを更新したり3位入賞したりと躍進が目立ちました。
200mフリーリレーでは、息子はメンバー落ちしましたが、見事優勝しました。

練習仲間同士、切磋琢磨しあって、あと一か月と迫った来月のとぼうお全国大会での活躍を期待したいと思います。