今日は、前回紹介したブライアン・グッデル選手のライバル、ウラジミール・サルニコフ選手(ソ連)です。
サルニコフ選手の水泳歴は、政治がスポーツに介入した冷戦時のオリンピックを体現した波乱万丈な物語です。
初めてオリンピックに出場したのは、1976年のモントリオールオリンピックです。男子の400m・1500m自由形でグッデル選手が活躍した大会です。
成績は1500m自由形で5位、この時、サルニコフ選手は16歳でした。
そして、20歳で迎えた1980年のモスクワオリンピックでは、西欧諸国が不参加ながら1500m自由形で夢の14分台(14分58秒27)を人類で初めて記録し、金メダルを取りました。
その後サルニコフ選手は1983年までにこの世界記録を 14分54秒76 まで更新します。
絶頂期24歳で迎えた1984年ロサンゼルスオリンピックでしたが、今度は東欧諸国が不参加。
男子1500m自由型は、マイク・オブライエン選手(米国)が15分05秒20で金メダルでした。
サルニコフ選手が出場していたなら、金メダリストの名前は変わっていたかもしれません。
26歳で迎えた1986年世界選手権では8位と惨敗。
当時は競泳選手、特に長距離選手のピークは二十歳前であり、20代前半で引退するのが当たり前でした。かつてのライバル、一つ歳上のグッデル選手は既に引退しています。
サルニコフ選手もその例外ではなく、サルニコフの時代は終わったと誰もが思っていました。
サルニコフ選手の最後のオリンピックとなったのは1988年のソウル大会です。
1500m自由形に出場し優勝。世界を驚かせました。
この年のサルニコフ選手のベストは15分17秒台で、大会前、この8年前のゴールドメダリストが優勝するとは、誰も予想していなかったからです。
右の「1500m自由型の金メダリストと当時の年齢」(スポーツコンテンツカンパニー オリンポスのカシスさんより)の表を見れば、サルニコフ選手の28歳という年齢が突出していることが分かると思います。
この金メダルは、モスクワで人類初の14分台を出した金メダルより、強烈な印象を受けました。
以下、ウィキペディアによる彼の紹介です。
1980年代を代表する男子の長距離自由形競泳選手であった。
人類史上初めて15分の壁を破る世界記録をモスクワオリンピックで達成した。
この記録は100m当たりのスプリットタイムが1分を切る画期的記録で、当時人類の夢といわれ、20世紀中の達成は難しいと言われた。
モスクワオリンピック本番では、ライバルと目されたアメリカのブライアン・グッデルらがボイコットにより不参加となり、事実上彼の独泳であった。その状況でも世界記録を樹立した決勝ではほとんどぶれのないスプリットを刻み、「精密機械のような泳ぎ」と報じられた。
無敵のまま迎えたロサンゼルスオリンピックは東欧諸国のボイコットで不参加であり、2年後の世界選手権では全盛期の面影が無く決勝で最下位(8位)で惨敗し、サルニコフの時代は終わったかに思われたが、ソウルオリンピックでは、下馬評にも挙がらないほどの低評価だったにもかかわらず、この種目の優勝候補だったアメリカ、豪州勢を下し見事に2度目の金メダルを獲得して有終の美を飾った。
0 件のコメント:
コメントを投稿