2012年7月15日日曜日

My favorite swimmer Part7 --- Michael Gross

My favorite swimmer シリーズ第7弾、今回紹介する選手は、前回紹介した、マット・ビオンディ(米国)のライバルといわれたミヒャエル・グロス(西ドイツ)です。
左:マット・ビオンディ選手 中:ミヒャエル・グロス選手
競泳では東ドイツに遅れをとっていた西ドイツの国民的英雄です。
このシリーズで西ドイツの選手を紹介するのは、今回だけかもしれません。

ミヒャエル・グロス選手といえば、長い両手(237㎝)を使って泳ぐバタフライです。
その姿から「アルバトロス(あほうどり)」のニックネームが付けられました。

彼が最も活躍した大会は1984年のロサンゼルスオリンピックです。
この大会では、200m自由形、100mバタフライで世界新で金、200mバタフライで銀メダルをとりました。
4×200mフリーリレーでもアメリカと大接戦を演じ、世界新の銀メダルに輝きました。
ジョン・ネーバー氏は、彼が米国選手ならマーク・スピッツ並の金メダルを獲得しただろうと評しました。

200m自由形200mバタフライの2種目の世界記録保持者として挑んだ1988年のソウルオリンピックでは、マット・ビオンディ選手とのライバル対決が話題になりました。
両者とも、自由形とバタフライを得意種目とし、体形も2mを超える長身、年齢も1歳違いです。(当時、グロス選手24歳、ビオンディ選手23歳、すくーる水着24歳・・・誰も聞いていない?失礼しました)

世界が注目した直接対決では、200m自由形では、ビオンディ銅メダル、グロスはメダル無し、100mバタフライではビオンディ銀、グロスはメダル無しでした。
世界中の人が、両者デットヒートの末どちらが金メダルを取るかと期待していましたが、結果は少々物足りないものでした。
この大会、結局、個人種目では、最も得意とする200mバタフライで金メダル一つをとるだけに終わり、その後1991年に現役を引退しました。

余談ですが、グロス選手は、1985年に行われた神戸ユニバーシアード大会に出場した時、後頭部にカタカナで「ドイツ」という刈り込みを入れて登場、髪型でも話題をさらいました。

以下、ウィキペディアによる彼の紹介です。
ミヒャエル・グロス(Michael Groß, 1964年6月17日- )は、ドイツ(旧西ドイツ)の男子競泳選手。
1980年代を代表する競泳選手の一人で、202cmの長身と237cmの長いリーチでバタフライを泳ぐ姿から『アルバトロス(あほうどり)』とも称された。
1981年に200mバタフライで世界新記録を樹立。
競泳では東ドイツの攻勢に後れを取っていた西ドイツで国民的英雄になる。
1982年の世界水泳選手権では200mバタフライと200m自由形で金メダルを獲得した。
グロスがその名を世界にとどろかせたのは、1984年のロサンゼルスオリンピックで ある。
200m自由形、100mバタフライをともに世界新記録で金メダルを獲得し、アメリカの金メダルラッシュに待ったをかけた(100mバタフライはマーク・スピッツのオリンピック記録を12年ぶりに更新するものであった)。
世界記録を持つ200mバタフライでの3冠が確実視されたが、オーストラリアのジョン・シーベンに遅れを取り銀メダルとなる。
また、4×200mリレーではアンカーとなり、先行するアメリカのヘイズを一度は逆転したもののラスト50mでのデッドヒートの末、わずか100分の4秒差で敗れた(アメリカ・西ドイツともに世界新記録であった)。
このオリンピックでの成績について、ジョン・ネーバーは「もしグロスがアメリカの選手だったら、6個か7個の金メダルを獲得してマーク・スピッツを上回っただろう」と当時雑誌のインタビューで答えている(リレー種目でのメダルが増えたという意味であろう)。
1988年のソウルオリンピックではアメリカのマット・ビオンディとの対決が注目を集めた。
しかし、200m自由形、100mバタフライのいずれでもメダルを獲得できず、前回は金メダルを逃した200mバタフライでようやく金メダルを得た。
1991年に現役を引退。2012年の夏季五輪に立候補したライプツィヒの招致活動に広報担当として参加した。
1985年のユニバーシアード神戸大会にも出場している。このとき、頭にカタカナで「ドイツ」という刈り込みを入れるという茶目っ気のある一面もあった。

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