2012年7月14日土曜日

My favorite swimmer Part6 --- Matt Biondi

My favorite swimmer 第6弾、旋回のポポフ選手に続き、今回も自由形のスプリンターを紹介します。
ソウルオリンピックで金メダル5個を獲得したマット・ビオンディ選手(米国)です。

ビオンディ選手は、1988年のソウルオリンピックで、マーク・スピッツ選手に並ぶ7つの金メダルを狙っていました。
最初に出た種目は200m自由形でした。
結果はまさかの3位で、いきなり7冠の野望は敗れてしまいました。
続く100mバタフライでは、世界新で金メダル確実と言われていましたが、南米スリナムの黒人選手アンソニー・ネスティ選手に最後に抜かされ0.01秒差の2位でした。
(アンソニー・ネスティ選手は黒人初の競泳金メダリスト)

ビオンディ選手の7冠を応援していた私は、7冠をマスコミが煽り立て、彼に重圧を与えているのでは、と思っていました。

しかし、その後に出場した50mと100m自由形、4×100mフリーリレー、4×200mフリーリレー、4×100mメドレーリレーの5種目を全て金メダルでかざり、終わってみれば、7冠こそなしえなかったものの、金5個、銀・銅各1個、計7個のメダルを1つの大会で獲得する活躍でした。

100m自由形は、競泳の花形種目です。この種目を制したものにだけ、世界最速の称号が与えられます。
100m自由形世界記録保持者の推移をみれば、世界最速選手の系譜が見えてきます。
・1970~1975年:マーク・スピッツ(米国)・・・初めて52秒を破る。ミュンヘンオリンピック競泳7冠。
・1975~1976年:ジム・モンゴメリー(米国)・・・初めて51秒・50秒の壁を破る。モントリオールオリンピック金メダリスト。
・1976~1981年:ジョンティ・スキナー(南アフリカ)・・・オリンピック出場経験なし。
・1981~1985年:ローディ・ゲインズ(米国)・・・ロサンゼルスオリンピック金メダリスト。
・1985~1994年:マット・ビオンディ(米国)・・・初めて49秒を破る。ソウルオリンピック競泳5冠。
・1994~2000年:アレクサンドル・ポポフ(ロシア)・・・バルセロナアトランタオリンピックで50m・100m自由形2冠2連覇。
・2000~2008年:ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンド(オランダ)・・・初めて48秒を破る。シドニーアテネオリンピック2連覇。
・2008年以降:アラン・ベルナール(フランス)、イーモン・サリバン(オーストラリア)、セザール・シエロフィリョ(ブラジル)の時代。シエロフィリョが47秒の壁を破る。

大さっぱにくくると、以下のようになります。
・70年代前半:マーク・スピッツの時代
・70年台後半:ジム・モンゴメリーの時代
・80年代前半:ローディ・ゲインズの時代 
・80年代後半~90年代前半:マット・ビオンディの時代
・90年台後半:アレクサンドル・ポポフの時代
・2000年代:ピーター・ファン・デン・ホーヘンバンドの時代

マット・ビオンディ選手は10年間もの間、世界最速の名をほしいままにしていました。

マット・ビオンディ選手は、マーク・スピッツの再来と呼ばれ水泳界の怪物でしたが、長身のイケメンとしても有名で、女性ファンも数多くいました。
若いころは、トム・クルーズ、中年になってからは、ジャン・アレジ似と言われているようです。
ビオンディ選手が世界記録を初めて出したのは1985年。
当時日本はバブル絶頂期、3高(高身長、高学歴、高収入)がもてはやされていた時代です。
ビオンディ選手は典型的な「3高」。
日本女性にも多くのビオンディファンがいたと思います。

水泳を引退してからは、国内を講演して廻ってましたふが、過去の栄光を遺産にして生きることに嫌気がさし、教員として地道に働く道を選びました。
そんなビオンディ選手は、数多くの名言を残しています。

「旅を楽しみなさい。一瞬一瞬を楽しみなさい。勝ち負けを心配するのはやめなさい。」

「結果だけが強調されていて、練習でどのくらい成長したかなんて気にもとめられない。 どれだけ進歩しているのか、その過程は自分で楽しめ。 勝敗についてあれこれ思うのはやめるんだ。」

トップを極めた選手でなければ言えない言葉ですね。

以下、ウィキペディアによる彼の紹介です。
マット・ビオンディ(Matt Biondi, 1965年10月8日 - )はアメリカ合衆国カリフォルニア州パロアルト出身の男子競泳選手である。
ソウルオリンピックにおいて、50m、100m自由形及び400mリレー、800mリレー、400mメドレーリレーの5種目で金メダル、さらに100mバタフライで銀メダル、200m自由形で銅メダルの合計7個のメダルを獲得したが、続くバルセロナオリンピックでは、個人競技では50m自由形の銀メダルのみでだった。
元々は水球の選手である。
1988年、カリフォルニア大学の政治経済学部を卒業した。
引退後、多数のオファーに応じ全米を講演して廻ったが、現在はハワイのパーカー校で数学の教員として暮らしているという。

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1 件のコメント:

  1. マット・ビオンディは文武両道ですごいですね。
    オリンピックで金メダルを5個も取れば、選手引退後は解説者、指導者などいくらでもオファーがあるだろうに、カリフォルニア大経済学部卒で、教員として活躍されているとはー。文武両道ですごすぎます。

    選手引退後の人生では学歴はたしかに重要になってくるかもしれませんね。
    文武両道でがんばることが大事ということですね。

    文武両道といえば、慶応の理工4年福谷選手がドラフト1位で指名されましたね。文武両道ですごいですね。がんばってほしいです

    サっカー界には文武両道で有名な東大卒Jリーガー久木田さんや他にも岡田武史さん、宮本恒靖さん、橋本英郎さんが文武両道で有名です。、ゴルフ界といえば、坂田信弘さんくらいしか思い浮かびません。


    しかし、大学ゴルフ界に文武両道プロゴルファーになる卵がいます。
    東大法学部4年の高野隆

    彼は朝日杯争奪日本学生ゴルフ選手権には4回出場し、6位に入った。他にも、日本学生ゴルフ選手権3回出場、日本アマ出場、トップクラスで活躍するスーパースターです。

    九州大2年の永井貴之

    彼は九州ジュニアゴルフ選手権4位、国体選手にも選ばれた。日本学生ゴルフ選手権出場、文部科学大臣杯争奪全日本大学・高等学校ゴルフ対抗戦出場など、全国大会の常連です。

    和歌山県立医科大学医学部医学科1年の辻田晴也

    彼は関西高等学校ゴルフ選手権2位、全国高等学校ゴルフ選手権に3回出場など全国大会の常連で、関西学生秋季新人戦2位、西日本医科総合体育大会2位です。

    他のスポーツ界に負けず、文武両道3羽ガラスが将来プロゴルフ界で活躍すればなぁーと思います。

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