2012年7月16日月曜日
My favorite swimmer Part8--- Mary T. Meagher
My favorite swimmer シリーズ第8弾、今回はシリーズ初の女性スイマー、メアリー・マーハー(米国)です。
このシリーズで紹介するスイマーは、天才的な人達ばかりですが、その中でも彼女の才能は抜きんでていると私は思っています。
1964年生まれなので、前回紹介したミヒャエル・グロス選手や、すくーる水着と同じ歳です。
1979年、まだ14歳の時、200mバタフライの2分9秒77の世界新を記録します。(前の世界記録は2分9秒87)
翌年の1980年は100mバタフライでも59秒26の世界新記録を出します。(前の世界記録は59秒46)
この時、マーハー選手が日本ではまだ無名だったため、”Mary Meagher”をカタカナで「メアリー・ミーガー」と表記されていました。(しばらくしてから、メアリー・マーハーに変わりました。)
躍進の速度が名前が知れ渡る速度よりも速すぎた結果です。
1980年のモスクワオリンピックは、政治の介入により、参加できませんでしたが、1981年の全米選手権で偉大な記録を作ります。
100mバタフライで57秒93、200mバタフライで2分5秒96という記録です。
マーハー選手は、100mでは1年強で1.53秒、200mでは、2年強で3.91秒、世界記録を短縮したことになります。
しかし、驚異的なのはその後です。
100mの記録は1999年にジェニー・トンプソン選手に、200mでは2000年にスーザン・オニール選手に破られるまで、20年近く世界記録保持者として君臨していました。
この記録は、競泳で最も長い間保持された世界記録でした。
メアリー・マーハー選手は、現役を退いた後も、長い間、世界記録保持者であり続けたのです。
以下、ウィキペディアによる彼女の紹介です。
メアリー・ターステッジ・マーハー・プラント(Mary Terstegge Meagher Plant, 1964年10月27日 - )はアメリカ合衆国の競泳選手(バタフライ)である。
ケンタッキー州ルイビルに生まれた彼女は、幼い年から水泳をはじめ、14歳となった1979年に、100mバタフライ(59.26)、200mバタフライ(2.09.77)で早くも世界記録を打ち立てている。
その後、彼女は圧倒的な競技力により、次々と自らの世界記録を更新していくことから「マダムバタフライ」(蝶々夫人とかけられている)と呼ばれることとなる。
マーハーは1980年のモスクワオリンピックにおいて金メダルを期待されていた。
しかしながら、アメリカはアフガニスタンに侵攻したソビエト連邦に抗議するため、モスクワオリンピックに不参加を表明したのでそのチャンスが訪れることはなかった。
オリンピックに出場できなかったマーハーであったが、1981年の全米水泳選手権において歴史的な大記録を残すこととなる。
その大会で、マーハーは100mバタフライで57.93、200mバタフライで2.05.96という驚異的な世界記録を達成する。
この記録は、その後他の競泳種目の世界記録が次々と破られていく中、100mで1999年にアメリカのジェニー・トンプソン、200mで2000年にオーストラリアのスーザン・オニールに破られるまで、20年近く更新されなかった。
マーハーの世界記録は、1968年メキシコオリンピックの走幅跳のボブ・ビーモンの世界記録と並び称される世界記録と言われた。
1984年ロサンゼルスオリンピックでは、マーハーは100m、200mとメドレーリレーの3種目で金メダルを獲得する。
東側諸国が不参加を表明した大会であったが、たとえ東ドイツやソビエト連邦の選手が参加していたとしても、彼女の金メダルの獲得は揺るがなかっただろうといわれた。
マーハーは1988年ソウルオリンピックにも出場し、200mバタフライでは銅メダルを獲得している。
エピソード
1993年に国際水泳殿堂入り表彰者に選ばれた。
その際、同時に殿堂入りした日本の長沢二郎がバタフライのドルフィンキック発明者だったことを知り、「ドルフィンキックの発明がなかったら、私はバタフライをやっていなかったし、世界記録も作れなかったでしょう。その意味で、今日、ここに一緒にいる長沢さんに感謝していますし、彼と共に表彰されるということは素晴らしいことです。」と挨拶した。
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