『「不死鳥」入れ墨スイマー どん底経て復帰、リオ目指す』という見出しで、本文は以下の通りです。
11日に全8戦が終了した25メートルプールで争う競泳ワールドカップ(W杯)で、両腕に入れ墨をした2000年シドニー五輪男子50メートル自由形金メダリスト、アンソニー・アービン(米)が、50メートルと100メートルの自由形で計6勝を挙げた。02年に一度引退し、どん底の時期を経て10年に本格的に復帰した31歳は、健在ぶりを示した。
初めて日本を訪れた01年世界選手権(福岡)で、2冠を達成。今月上旬のW杯東京大会でも100メートルを制した。「僕は禅の影響で立ち直れた。日本には特別な思い入れがある」
このアンソニー・アービンという選手、みなさんご存じでしょうか。
彼は黒人の父と白人の母の間に生まれ、2000年のシドニー五輪で米国競泳史上初の黒人の代表選手になりました。
シドニー五輪では男子50m自由形で同僚のゲーリー・ホール・ジュニア選手と同着で金メダルを獲得。
翌年の2001年、福岡で行われた世界水泳選手権の50mと100m自由形ではソープやホーヘンバンドを抑えて優勝しています。
2002年、水泳界を引退。ここから彼の転落人生が始まります。
バンドを組んだかと思えば、アル中になったり、自殺未遂をしたりと荒れまくります。
見かねた、ゲーリー・ホール・ジュニア氏が子供向けの水泳教室を紹介するなどして、立ち直りの手助けをします。
その甲斐あってか、徐々に立ち直っていきます。
過去の栄光にしがみつかないため、シドニー五輪で取った金メダルを売却し、そのお金を寄付したりしました。
そして2010年、現役復帰を決意。ロンドン五輪にも出場し、50m自由形で見事5位入賞を果たします。
その後は上記の朝日新聞に書かれてある通りです。
リオ五輪の年は35歳になっています。
出場できるかどうかは分かりませんが、彼の今後をウォッチしていきたいと思います。
参考資料
- ウィキペディア アンソニー・アービン
- 河本耕平ブログ - 侍スイマー 河本耕平の挑戦 - アンソニー アービン選手
- Que amor con amor se paga 帰ってきた男・アンソニー・アーヴィン
- i Coach Sol.はいつか世界へ…~Prologue~ London Swim 2012 アンソニー・アービン
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